部屋の掃除をしました。以上。
なんつーか、昨日書いたこと半分も達成してませんが。
PCをいわきに送るのにクロネコヤマトのパソコン宅急便っていうのがあるのを思いだす。 なるほど、集荷に来てその場で梱包してくれるのか。 ちょっと高いけど梱包材の値段とか手間を考えたら良いかもね。
ついでに他の荷物も集荷してほしいので、金曜日あたりに頼んでおこう。
切符は会社の帰りにでも買ってこよう。
今日はもう書くことがないので今日のネタ。
プレイヤーキャラクターが簡単に強力な能力を発揮できるルール*1は、 そのルールに習熟していないくても強いキャラクターが作れ、見せ場を作る機会がルール上は均等に与えられる。
ただ一方で、キャラクターの強さを表す数値的パラメータはかなり意味が弱くなる。 数値的にどうであっても、最終的には誰もが持っている神業以上に強いものが無いからである。
両立させたいならば、双方の役割をちゃんと分担しておくしかない。 それが出来ないなら、神業のようなルールは導入すべきでない。
トーキョーN◎VAは通常の能力の範囲では有効な効果を発揮できても、決定的な効果は神業が必要とされる。 つまり、神業じゃないと無理、という場面がはっきりと区別されるわけである。 え?区別されない?そりゃシナリオが…。
ブレイドオブアルカナでは失敗気味である。多くの奇跡が戦闘効果を発揮するものであり、多くのクラスが戦闘向けの能力を持つ。 結果、皆で最終ボスと戦闘するというシーンが必要になった。最終ボスは人数の多いPCたちにあっさりやられないようにするため、馬鹿みたいに強くなった。 最近では魔印も加わって、もうドラゴンボールの敵役のようにどんどん強くなっている。
アルシャードでは完全に失敗している。 元のルールはしっかりとしたレベル制なのだが、加護*2を使った瞬間にレベルを上げる楽しみもなにも無くなる。 レベルを上げて強くなっても、加護を使えば最初から強いので変わらないのである。
誰でも最初から非常に強いキャラクターを作れるのは良いのだが、その場合強い、弱いというのは個性でなくなる。 あとはキャラクターの個性をどこで出させるか考える必要がある。